真の科学的理解とは、方程式が解けるとか法則をたくさん覚えているということではありません。要素の摘出と構造化を通じてある事象の因果関係をきちんと理解しているということです。これができている人の頭の中には、その事象に対するモデルがきちんとできあがっています。
真の科学的理解ができている人は、条件の変化したときでも、その変化が全体としてどのような影響があるかを予測できます。また、条件の変化により新しく出てきた問題点を浮き彫りにして、これに対処する方法を自ら考えることもできるのです。
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生態工学の三原則「人間は生態系に危害を加えてはならない。」「人間は生態系の法則に従わなくてはならない。」「人間も生態系の一員である。」
真の科学的理解とは、方程式が解けるとか法則をたくさん覚えているということではありません。要素の摘出と構造化を通じてある事象の因果関係をきちんと理解しているということです。これができている人の頭の中には、その事象に対するモデルがきちんとできあがっています。
真の科学的理解ができている人は、条件の変化したときでも、その変化が全体としてどのような影響があるかを予測できます。また、条件の変化により新しく出てきた問題点を浮き彫りにして、これに対処する方法を自ら考えることもできるのです。
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世界の生物や生態系を守るために、これまでにもいくつもの条約が結ばれている。絶滅のおそれのある種の国際取引を規制するワシントン条約、湿地の生態系を保全するラムサール条約、価値ある自然遺産を保護する世界遺産条約、国境を越えて移動する種を保護するボン条約などである。
しかし、このような条約は、特定の生物種や生態系にスポットをあてて保護することが目的である。地球上のすべての生物と生態系をカバーする条約はなかった。
生物多様性条約は、これまでの条約が対象としている分野を包含し、対象としていなかった部分も含み、地球上のすべての生物の保全のあり方を示す基本的枠組みを示している。
条文には目標や政策のあり方が示されているだけで、細かい義務規定が書かれているわけではない。各国の政府が具体的に何をするかということは、これからつくられる予定の議定書や政府の判断にゆだねられる。
生物資源の利用のあり方について述べられていることも特徴的である。将来の世代の利用の可能性を摘みとってしまわないように、持続的に利用するという「保全」の考えが条約の全体につらぬかれている。
この条約では、生物の多様性の保全は、人類の共通の関心事項であるが、同時に各国の主権のもとで管理されることが確認されている。国家は自国内の生物資源を管理する権利をもつとともに、これを保全する責任と義務も負うのである。
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ウォルター V. リード,藤倉 良,ケントン R. ミラー
ダイヤモンド社 — (1994-06)
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動植物の良好な生息・生育環境の保全・復元は、人間の生存の基盤となっている多様な生態系の長期的安定性、生物資源の持続的利用、人と自然との豊かな触れ合いなどの観点から重要である。河川は上流から下流ヘ流下するにつれて、その物理的な形が変化するとともに、その水も流域の様々な影響を受けて変化しながら、やがては河口に至る。河川には、源流部から河口まで、水中、水際、河原などの場所に応じて、土壌、水、日照などの条件が異なる様々な環境が存在し、その環境に応じて、多様な生物群集が生息・生育する。河川が生物群集の多様性を保つ上で重要な役割を果たすことを十分認識し、地域にふさわしい生物群集の良好な生息・生育環境を確保しつつ、川を治め、川のもたらす様々な恵みを利用していくことが必要である。
そのためには、学術上又は希少性の観点から重要なもの、その川に典型的に見られるもの、その川において特殊な環境とみられるもの等に着目し、現状及び歴史的な経緯並びにその背景等を踏まえ、その川にふさわしい生物群集と生息・生育環境を抽出することが重要である。
以上の観点を踏まえ、その川にふさわしい生物群集と生息・生育環境を保全・復元し、それらが将来にわたって維持されるよう、河川の整備・管理を行っていくこと重要である。
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田んぼを中心に有機的に結ばれた重層的な環境構造は、毎年、イネを作るために維持補修する農家の営みにより、植生や環境の遷移を阻み、多様な生きものや水生植物、湿地植物の生息環境をつくり出し、長い間維持されてきたのです。田んぼで繁殖、生息する生きものは長年の間、こうした田んぼの環境に適応して暮らしてきました。
田んぼはなぜ、多くの生きものが集まってくるのでしょうか。一番大きな要因は、温かな栄養に富んだ水が浅く滞水している水辺だということです。熱帯原産のイネを作るために、田んぼでは水を温める工夫や水管理が行われています。しかもイネを育てるために肥料や堆肥が施されるため、田の水は栄養分豊かです。止水しているので、卵や幼生が流されることもありません。栄養豊富で温かな水が溜められた田んぼでは、藻類やミジンコなどの微小なプランクトンが持続的に、しかも大量に発生します。この微小なプランクトンや藻は、水生植物の幼虫や幼体の格好の餌になるため、メダカやドジョウなどの魚類だけでなく幼生時代を水中で過ごすトンボ、カエルやサンショウウオなどの両性類も産卵にやってきます。水深が浅く温かな水環境は、卵が孵化し幼体が育つためには格好の水環境です。田んぼにはイネが植えられ叢生するので、これらの幼体は天敵から身を守ることもできます。また、田んぼにはイネを餌にするウンカやヨコバイなどの「害虫」も餌や産卵場を求めて集まってきます。
さらには、これらの小さな生きものを餌にする生きものも集まってきます。ゲンゴロウやタイコウチ、コオイムシ、成体になったトンボやカエル、サギやツバメなどの鳥類も集まってきます。
このように、田んぼには繁殖場や餌場を求めて多様な生きものが集まり、豊かな食物連鎖ができます。田んぼがあることにより、より多様で複雑な生態系が維持され、生物多様性が維持されてきたのです。
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食料生産の開始時期、伝播上の障壁、そして人口規模といった3つの要因が異なることが、大陸間での技術の発達の違いにどのようにつながるかを考えた場合、事実上、北アフリカをふくむユーラシア大陸は、世界でもっとも大きな陸塊である。競合する社会の数も、世界の大陸のなかでもっとも多い。肥沃三日月地帯と中国という、食料生産の発祥地もユーラシア大陸に位置している。東西方向に横長の大陸であることから、ある地域で取り入れられた発明は、同緯度帯で同じ気候帯に位置する社会に、比較的速い速度で伝播することができた。縦方向(南北)に短く横方向に長いことは、パナマ地峡で東西に狭くなっている南北アメリカ大陸と対照的である。南北アメリカ大陸やアフリカ大陸では、厳しい生態系の障壁が大陸を分断してしまっているが、そのような障壁はユーラシア大陸には存在しない。したがって、ユーラシア大陸には、他の大陸ほど、技術が伝播するうえでの過酷な障壁が地理的にも生態系的にも存在していなかった。こうした3つの要因が作用した結果、旧石器時代以降の技術進歩がユーラシア大陸でもっとも早くはじまり、時間の経過とともに、もっとも多くの技術が蓄積されたのである。
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「文明」や「文明の誕生」といった言葉には、文明をよいものとし、狩猟採集民はみじめな生活をしているという誤った印象をあたえるところがあるのではないか。人類社会の過去13000年の歴史は、よりよい幸福にむかっての進歩だったという誤った印象をあたえるところがあるのではないか---。しかしながら私は、産業かされた社会が狩猟採集の社会よりも「優れている」とは考えていない。狩猟採集生活から鉄器にもとづく国家に移行することが「進歩」だとも考えていない。その移行によって、多くの人類がより幸福になったとも考えていない。アメリカの都市とニューギニアの村落の両方で生活を送った私自身の経験から判断するならば、いわゆる文化の恵みと呼ばれるものには両面があると思う。たとえば、現代の工業化された社会で暮らす人びとは、狩猟採集民よりも優れた医療を受けられる。殺人で死ぬ確率も低い。平均寿命も長い。しかし、知人や親類縁者からの支援という面では、狩猟採集民より恵まれていない。私が、居住地域を異にする人間社会の差異について調べようと考えたのは、ある社会が他の社会よりも優れていることを示すためではない。人類社会の歴史において何が起こったのかを理解するために、これらの差異について調べようと考えたのである。
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自然について学ぶためには、注意深い観察から始めなければならない。「われわれの知識はすべて、われわれの知覚から生じる」。だが、世界を受動的に記録するだけでは十分ではない。「自然は、経験ではわからない原因に満ちている」。これらの隠された原理を発見するために、科学者は、客観的、数学的な方法で「法則」を定式化する必要がある。「数学が適用できなかったり、数学と関連づけられないものは、科学において確実であるとは言えない」
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われわれ人間ひとりひとりの心身は、信じがたいくらいに高い計算能力がそなわっており、その力を活用しなければ、複雑な世界を生きることはできない。その創造的な力の作動を恐れ、外的な規模にとらわれ、直接的な目標達成のために頑張ることは、事態を悪化させるだけである。ものごとに取り組む場合には、その置かれた状況を視野に入れ、学習能力を活性化し、間接的で動的な働きかけを行わねばならない。そのために必要な暗黙の力があなたには必ずそなわっている。
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私たち人間は本来、生存への適応だけでなく、社会の「ふつう」に対しても適応
しようとする。「ふつう」とは固定されたものではない。刻々と移り変わり、変
化するものであり、また私たち自身も「ふつう」との距離感を変えてゆく。これ
からは知能をこのような時空間の中で動的に捉えてゆく必要が出てくる。筆者ら
は<境界知>を通じて、人間の「社会的知能」への新しい視座を提示したいと考
えている。<境界知>とは社会に「適応」する際の<知>であり、さらにいうな
ら社会への適応結果であると同時に、適応の行為そのもの、その過程、その能力
のことでもあるともいえるのではないか。
社会も動き、人間も動いている。そこで機能する「適応」への知能が社会的知能、
すなわち<境界知>なのだ。
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「環境」という言葉が現在のような意味で広く使われるようになったのはそれほど古いことではない。1970年代までは、むしろ「公害」という表現の方が普通であった。60年代、日本では高度成長の矛盾によって各地で産業公害が激化し、水俣などを代表とする公害訴訟が頻発。70年のいわゆる「公害国会」では、公害対策関係14法案が通過した。しかし、その翌年に発足した公害対策の行政機関が「環境庁」という名称を与えられたのは、時代の転換を予示するものだった。
国際的な環境意識の高まりを象徴するのは、1972年6月、ストックホルムで開催された「国連人間環境会議」であろう。そこでまとめられた「人間環境宣言」では、環境汚染の問題を踏まえながらも、今後の課題として、生態系の保護、天然資源の管理された利用、再生不可能な資源の枯渇回避と公正な配分、有害物質や熱排出の抑制、適正な人口政策の実施、低開発国の開発支援などが宣言に含められた。
『成長の限界』と題されたレポートが刊行されたのは、この会議とほぼ同時期のことである。それは、世界各国のエリートの集まりともいうべきローマ・クラブが、マサチューセッツ工科大学のD・H・メドウズらに委嘱してとりまとめたものだ。このレポートの重要な結論の1つは、世界人口の増大、工業化、汚染、資源利用の趨勢が変わらなければ、100年以内に地球上の成長が限界点に達し、その結果、人口と工業力が突然制御不能となりかねないというものだった。
地球の限界を前に、私たちは何をすればよいのであろうか。それを考えるヒントを与えてくれるのが、E・U・ワイツゼッカー、A・ロビンスらの著した『ファクター4』である。これは、72年の『成長の限界』と同じく、ローマ・クラブに対する報告書である。
この本の主張の要点は、まえがきにあるように、「資源生産性がファクター4、つまり4倍に上昇するなら、今の豊かさを2倍にし、環境に対する負荷を半分にできる。資源生産性を4倍にすることは技術的には可能であり、巨大な経済的収益をもたらし、個人や企業、そして社会の全構成員を豊かにする」というものだ。世界人口や経済の成長を考慮すれば、それは現状の環境負荷を増大させない程度のものにとどまる。しかし、持続可能な成長にとって、ファクター4の達成は重要な一歩であり、地球の有限性に対する1つの回答となる。
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