文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

人間社会と小さな集団は、いくつかの理由で、破滅的な決断を下してしまうことがある。問題の予見に失敗したり、生じた問題の感知に失敗したり、感知した問題を解決する試みに失敗したり、解決の試みを首尾よく成し遂げることに失敗したりする。

しかし、社会が常に問題解決に失敗するわけではないことも、また明らかだ。もし本当に失敗続きだったのなら、わたしたちは今ごろ、みんな死に絶えているか、あるいは一万三千年前の石器時代並みの条件下に戻って暮らしているだろう。

わたしたちは今、接続不能にいたる道を急ぎ足で歩いている。現在の子どもたち、若者たちが生涯を終えるまでのあいだに、世界の環境問題はなんらかの決着を見るだろう。問題は、それが自分たちの選んだ快適な方法による決着か、戦争、大量虐殺、飢餓、疫病、社会の崩壊など、選ばざる不快な方法による決着かということだけだ。これらの苛烈な現象は、人間社会の宿痾のように歴史の中に遍在しているが、その頻度は、環境の劣化、人口増加の圧力、その結果としての貧困や政情不安などの条件下で高くなる。

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)

イースター島、マンガヴァ島、そしてアナサジと同じように、マヤでも、環境問題と人口問題が戦争と内乱の増加につながった。イースター島とチャコ峡谷と同じように、マヤにおいても、人口が最大値に達したとたん、政治的かつ社会的な崩壊が起こっている。イースター島の農地が沿岸の低地から最終的に耕地にまで拡張され、ミンブレの農地が氾濫原から丘陵地へ拡張されたのと同様、コパンの居住地も、氾濫原からもっと脆弱な斜面へと広げられ、その結果、丘陵地における農業の発展が衰退へと転じたときには、それまでよりおおぜいの人口を維持するための食糧が必要になっていた。イースター島の首長たちがその時々の最大の石像を立てたあげくプカオを載せたように、また、アナサジの支配者層の人間たちが、トルコ石のビーズを二千個つなげたネックレスで身を飾り立てたように、マヤの王たちも、よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、お互いに負けまいと懸命になった。その姿は、これみよがしに浪費を重ねる現代アメリカのCEO(最高経営責任者)たちを髣髴させる。これらの不穏な類似点の締めくくりとして、イースター島の首長たちも、マヤの王たちも、現実の重大な脅威を前にしながら、なんら能動的な打開策を講じなかったことを挙げておこう。

|新訳|科学的管理法

働き手や雇用主が抱えるあらゆる問題を解決する万能薬がある、などと述べているのではない。生まれつき怠け者で手際の悪い人や、欲深く野卑な人がいる限り、あるいは悪徳や犯罪が絶えない限り、貧困、惨状、不幸なども消えてなくなりはしないだろう。マネジメント手法や人々が用いる方策などは、どれ一つとして働き手や雇用主に永遠の豊かさを約束するものではない。

豊かさにはあまりに多くの要因が絡むため、どのような人物、州、いや国家ですら、豊かさをコントロールすることはできず、したがって、働き手と雇用主の両方が多少なりとも痛みに耐えなくてはならない時間は、これからも必ず訪れるだろう。

ただし、そのような厳しい時間を別にすると、科学的管理法の下では、従来とは比べものにならないほどの豊かさや幸せがもたらされ、争いや不協和音は少なくなるはずだ。しかも、厳しい時期が訪れる回数が減り、期間も短くなり、痛みも和らいでいく。この傾向は、経験則に代えて科学的管理法の原則をいち早く取り入れた町、地域、州などで顕著に現れるだろう。

私は、これらの原則はいずれ文明世界にあまねく広まるはずであり、その時期が早ければ早いほど、人類にとって望ましいと確信している。

フレデリック W.テイラー
ダイヤモンド社

¥ 1,680

(2009-11-28)

絵で見る十字軍物語

イスラム教徒にとっての聖典であるコーランでは、生涯に少なくとも一度のメッカへの巡礼を、信徒にとっての重要な義務としている。ゆえに、もともとからしてイスラム教徒は、キリスト教徒のイェルサレム巡礼に理解ある態度で接していたのだった。

しかし、キリスト教もイスラム教も、自分たちの信ずる神以外の神は認めないとする一線は、絶対に譲らない一神教同士である。ひとたびこの一線が強調されすぎると……。

十字軍とは、一神教徒同士でなければ起りえなかった、宗教を旗印にかかげた戦争なのであった。

人間・社会・コンピュータの情報処理原論

受験勉強の影響で、「一般法則を理解しようとするより、個別的な結果を覚えて、早く答えを出そう」とする傾向が見られるからです。

これは人間の特色である「自由に考える」という力を捨てて、コンピュータのように、機械的に素早く動くことをめざしている、とも言えます。この傾向は入学試験のように、範囲が限られている問題には有効でしょうが、実社会に出てから出会う問題を解決するにはまったく役に立たないと断言できます。けっきょく役に立つのは、次の3つです。

  1. 自分が理解した事柄
  2. 熱中する力
  3. 感覚だけで判断を下すのではなく、自由に、ねばり強く考える力

ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代

豊かさ、アジア、オートメーションに翻弄されている世の中では、「左脳主導思考」は必要であるが、もはやそれだけでは不十分であり、私たちは「右脳主導思考」に磨きをかけて、「ハイ・コンセプト、ハイ・タッチ」の資質を身につけなければならない。

対価の安い海外のナレッジ・ワーカーにはこなせず、処理能力の速いコンピュータにもできない仕事、また、豊かな時代における美的感覚と感情的・精神的要求を満たせるような仕事を行わねばならないのだ。

だが、別の面から考えると、この答えでは不十分だ。

一体、私たちがなすべきことは何なんだろう?

私はこの数年間、この問いについて研究を重ねてきた。

そして、ハイ・コンセプトでハイ・タッチな「六つのセンス」こそが、新しい時代に必要不可欠な感性だという答えを導き出したのである。

私はこれらの六つの資質を「六つのセンス」と呼ぶことにした。

デザイン、物語、調和、共感、遊び、生きがい。

これら六つの感性は、ますます私たちの生活を左右し、世の中を形作っていくようになる。多くの人がこのような変化を歓迎するのは間違いないところだが、中には「そんな恐ろしい未来はごめんだ」と感じる人がいるかもしれない。全身黒ずくめの気取った連中がやってきて、いつもどおりの生活が容赦なく奪い去られ、後には中途半端に芸術的、情熱的なものばかりが残される—そんなイメージを抱くかもしれない。

だが、恐れることはない。これから説明する「ハイ・コンセプト」「ハイ・タッチ」な能力は、ほとんどが基本的な人間に備わった資質なのだ。

プレゼンテーション Zen

初心を持って課題に取り組めば、過ちを恐れることはなくなる。間違いを犯したり、失敗のリスクを負ったり、誤りを指摘されたりすることへの恐怖は、常に我々についてまわる。それは非常に残念なことだ。間違いを犯すことと、創造的であることはイコールではない。しかし、進んで間違いを犯そうとしなければ、真に創造的な人間になることは不可能である。もし意識の底に恐怖心やリスクを避けたい気持ちがあったら、常に安全策―すでに何度も使ったことのある方法―を取ってしまうだろう。時には、「すでに通ったことのある道」が最善の道であることもある。しかし、本当はどんな道なのか確かめもせずに、惰性で道をたどるべきではない。先入観を捨て、さまざまな可能性を考慮した結果、いつものやり方が最良の方法であったと気付くことがあるかもしれない。しかし、それは単なる惰性で行った選択ではない。新たな視点から初心者の心で熟考した結果、そうした選択を行ったのである。

Garr Reynolds,ガー・レイノルズ
ピアソンエデュケーション

¥ 2,415

(2009-09-07)

みんなが知りたい地下の秘密

開かずの踏切、交通渋滞、地価の高騰―都市部には地下空間の制約から、ニュースにもならないさまざまな問題が発生しています。一見すると豊かそうにみえますが、都市はかならずしも快適な生活空間となっていません。そしていま、このような都市問題を解決する手段、都市部で新たな空間を創出する手段として、地下空間が注目を集めています。

地下空間は、人々の生活を下支えする社会生活基盤です。昔からいろいろな用途に使われています。平安時代には、冬の池の氷を保存する「冷蔵庫」として、江戸時代には、大火から商品や家財道具を守るための「シェルター」として使われてきました。

近年では、都市部で空間をただ創出するだけでなく、石油や石油ガスの貯蔵空間、科学実験場用の地下空間など、将来の社会生活基盤に加え、エネルギーの安定供給や科学の発展にも大きく寄与しています。

思考の整理学

これからの人間は、機械やコンピューターのできない仕事をどれくらい良くできるかによって社会的有用性に違いが出てくることははっきりしている。どういうことが機械にはできないか。それを見極めるには多少の時間を要する。創造性といった抽象的な概念を振り回すだけではしかたがない。

本当の人間を育てる教ということ自体が、創造的である。教室で教えるだけではない。赤ん坊にものごころをつけるなどというのは、最高度に創造的である。つよいスポーツの選手を育てあげるコーチも創造的でなくてはならない。芸術や学問が創造的であるのはもちろんである。セールスや商売もコンピューターではできないところが多い。その要素が多ければ多いほど創造的であるとしてよい。

人間らしく生きて行くことは、人間しかできない。という点で、すぐれて創造的、独創的である。コンピューターがあらわれて、これからの人間はどう変化していくであろうか。それを洞察するのは人間でなくてはできない。これこそまさに創造的思考である。

外山 滋比古
筑摩書房

¥ 546

(1986-04-24)

忘却の整理学

ハイブリッド・カーが新しい考え方に立脚した技術であるように、ハイブリッド人間はこれまではっきりとは存在しなかった新しい人間である。そしてその交換の役を果たす忘却は、これによって新しい意義を認められる。

人間は、覚え、覚えて走り、考え、考えて走る新しいライフ・スタイルを確立しなくてはならない。そのときの黒子の立役者は忘却である。こうして忘却は古来の偏見から解放されて、新しい文化創造の動力となる。

忘却は記憶に劣らず、人間の精神活動にとって欠くべからざる作用である。幼少のときにもっとも活発であったのが、文字を知るに及んで、一部が退化し、ときに故障すらおこす。そういう忘却を否定的に考えるようになったことは、人類にとって不幸であった。

人間が、理知ハイブリッドの生き方をするためには、頭の切り換えが必要で、それを行うのが、忘却である。

外山滋比古
筑摩書房

¥ 1,260

(2009-12-12)