人間社会と小さな集団は、いくつかの理由で、破滅的な決断を下してしまうことがある。問題の予見に失敗したり、生じた問題の感知に失敗したり、感知した問題を解決する試みに失敗したり、解決の試みを首尾よく成し遂げることに失敗したりする。
しかし、社会が常に問題解決に失敗するわけではないことも、また明らかだ。もし本当に失敗続きだったのなら、わたしたちは今ごろ、みんな死に絶えているか、あるいは一万三千年前の石器時代並みの条件下に戻って暮らしているだろう。
わたしたちは今、接続不能にいたる道を急ぎ足で歩いている。現在の子どもたち、若者たちが生涯を終えるまでのあいだに、世界の環境問題はなんらかの決着を見るだろう。問題は、それが自分たちの選んだ快適な方法による決着か、戦争、大量虐殺、飢餓、疫病、社会の崩壊など、選ばざる不快な方法による決着かということだけだ。これらの苛烈な現象は、人間社会の宿痾のように歴史の中に遍在しているが、その頻度は、環境の劣化、人口増加の圧力、その結果としての貧困や政情不安などの条件下で高くなる。
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