トマトはなぜ赤い―生態学入門

ただひたすらに高効率化だけをめざす生き方は、賢明ではなさそうだということは理解できよう。地球上のあらゆる生き物は、みな他の生物との関係のなかに生存しているということは極めて基本的な生態学の原理である。

公共事業の正しい考え方―財政赤字の病理

「公共の福祉」という概念は過大に用いられやすい。たしかに、採算に値しないサービスであっても、公共の福祉のために、政府が責任を負うべきものは多い。こうした考え方自体は、有益であり大切である。しかし、「公共の福祉」が一人歩きしてしまう危険性もある。政府の行うものであれば何でも、「公共の福祉」という大義名分で合理化する傾向もみられる。

どこまで政府が責任をもつべきかは、そうした政府サービスの受益メリットと負担コストをきちんと業務評価し、比較検討するなかで、定まってくるべきである。そのためにも、政府の業績評価に手前味噌のバイアスを生じさせないような仕組み、誘因が必要となる。利潤動機ではなくても、客観的で数量化された業務評価を確立することは、公共事業も含めて政府の経済活動を改革する上で重要である。

「絵になる」まちをつくる―イタリアに学ぶ都市再生

イタリア・ルネッサンスの延長として近代西欧で科学主義が、「自然を意のままに操る」思想に直結し、これが現代の自然破壊を生んでいること、あるいは、精神と物質をバラバラに考えるいわゆる「二元論」が、心や身体のさまざまな問題の解決を難しくしていることが、現在多くの識者から指摘されている。

しかしながら、イタリア人は、伝統と歴史を積み上げ、「保存・修復」という手法でまちづくりを行っている。こうしてイタリアの都市は、豊かな暮らしの舞台、生活者にやさしいまちとなり、ひとびとの愛郷精神を育む風景を熟成させている。

一方、世界を分断的にとらえず、有史以来、自然もひとも生きとし生けるものとして一貫したエコロジー思想を持っていたはずの日本において、都市は著しい空洞カ化に疲弊し、まちの風景や環境の破壊が深刻さを増している。

つまり、持続性や(風景を含む広義の)エコロジーをめぐって、イタリアと日本とのあいだに「逆転」が生じているのである。

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民岡 順朗
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いちばん大事なこと―養老教授の環境論

それなら意識とはなにか。ヒトの脳でとくに発達した働きである。その働きが言葉を操り、都市をつくり出し、いわゆる近代社会をつくる。遺伝子からすれば、ヒトとほとんど違わないチンパンジーは、そのどれもやらない。脳が小さいからである。つまり環境問題を個人に戻せば、それは心と身体の対立という、たいへん古典的な問題に戻る。意識とはつまり心だからである。環境問題を追求していくと、原理的には自分の心身の問題に戻る。

社会基盤メインテナンス工学

たとえば、ある人が悪寒を感じ、体温を測定したところ37.0度であったとする。この体温の測定結果が、普通の風邪を意味することもあれば、場合によっては重大な病の予兆を意味する場合もある。ここで重要なのは、体温の変化に対する方策として、風邪が原因で生じた発熱であれば風邪薬を飲むのは適切であるが、重大な疾病が原因で生じた発熱であれば、風邪薬を飲むということは適切ではなく、マネジメントの考え方に基づけば体温の変化を引き起こした原因を明らかにし、その原因に応じた適切な処置を講じることが重要であるという点である。

構造物のメンテナンスについても同様であり、定期点検等でひび割れが発見された場合、その原因を明らかにせず、対症療法的にひび割れ注入や表面被覆等を実施することは、対策とはいえず、むしろ不適切な維持管理によるリスクとすらいえる場合もある。特に、表面被覆のような、施工後のコンクリートの表面状態が観察しにくくなるような状況になった場合には、その後の再劣化が生じた場合の早期発見を妨げかねない。ただし、このことは、表面被覆という工法が、すべからく不適切な維持管理の行為であるということを意味するのではない。重要なことは、不適切な維持管理、すなわち、劣化原因の誤った判定や劣化原因に不相応の対策を実施することはリスクとして捉えられなければならないという点である。

景観から見た日本の心

私たち人間もまた自然生態系の1部であり、「命の運び手」である以上、環境との拒絶、自然との断絶もありえないのです。景観は目に見える環境の総和です。ただ物理的に美しい、文明的な美の有り様を景観と称しているのではありません。風土・風景との文脈を有し、人と自然のつながりが正の状態であることが望まれる景観の姿です。よって景観計画とは、多様な生命の営みが、人間の活動と調和し、文明と文化と生命現象が三位一体となって美的な世界を生み出す姿を、真の景観と考えるべきだと信じています。

自己実現が成熟した社会の幸福感の基盤であるとするならば、それを果たし得る目に見える環境の総和としての景観、人の顔色にその健康状態を見るのと同様、地域の健康状態を表す景観を整え、未来に向けて、「つながりを見ることができる社会」を心で観ることができる社会を構築すべきでしょう。

涌井 雅之
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(2006-06)

ニュートンの海―万物の真理を求めて

数学的直観と呼ばれている頭脳の能力を、本当に理解できる者はいない。それが天才となると、なおのことである。人間の脳というものはだいたい似たり寄ったりなのだが、ほかの才能に比べると、数に関する才能はもっとまれで特別な能力のようだ。それは普通とはまったく別な、異質の特性だ。天才のなかでも数学の天才ほど、特殊な才能をもつ知的障害者と共通したところのある天才はいない。世界に背を向け、内に向かって思いをひそめる頭脳にとって、数は輝きを放つ生き物のように見えてくるのだ。そしてそこに秩序と摩訶不思議な魅力を見出し、数がまるで親しい友だちのようになる。数学者は、いわゆるポリグロット〔数か国語に通じた人〕でもある。その強力な創造力がどこから湧いて出るかというと、それは同じひとつのことを、一見まったく似ても似つかない形で表せる翻訳の能力にほかならない。ひとつの公式化がうまくいかなければ、あきらめずまた別の形を試すのだ。

ジェイムズ グリック
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(2005-08)

フーコーの振り子―科学を勝利に導いた世紀の大実験

「この現象は静かに、だが必然的に進んでいき、誰もそれを止めることはできない。それが起こり着実に進んでいくのを、人は感じ、そして見ることができる。しかし人は、それを速めたり遅めたりする力は持っていない。この事実を目の当たりにした人は、誰でもしばし立ち止まり、静かに考えを巡らす。そしてたいていの人は去るときに、われわれが宇宙の中で絶えず運動していることをよりはっきりと敏感に感じ取り、その感覚を持ちつづける」

―レオン・フーコー
自らの振り子実験を語る
1851年

技術にも品質がある―品質工学が生む革新的技術開発力

品質工学の目指す姿、つまり技術のパラダイムシフトとは、問題の捉え方と評価方法を変えることである。一つひとつの原因を追究し、問題を対策するのではない。

問題対策のやり方だと、発見されていない問題点の対策は出来ない。ある問題を対策しても全体のバランスが最適かどうか不明である。まるで傷口ごとに絆創膏を張るやり方である。対処療法という言い方をしてもいいだろう。

それに対して品質工学のやり方は、まず理想はどうあるべきかを考える。その理想からの現状のズレを計測し、ズレを最小にしていくように検討する。

そうすれば目前の問題はもちろん、未発見の問題点に対処でき、全体を考えた最適条件に設定できるはずだ。理想に一番近い条件なら、すべての問題に対して一番良い条件のはずだからである。

TQM 品質管理入門

5Sとは、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「躾」を指します。5Sとよぶのは、これらの5つのすべてがローマ字表記をするとSで始まることに起因します。この5Sは、直接的に品質・質にかかわる活動というよりも、日常業務や改善プロジェクトなどを支える基盤になります。

生産現場に行ったときに、材料や工具が散乱していたら、よい品質の製品が作れていると思いますか?あるいは、書類が散乱しているカスタマーセンターで、顧客からの問い合わせに的確に回答できていると思えますか?

この例からもわかるとおり、5Sというのはどんな業種、どんな仕事場、どんな業務形態であっても実践が不可欠です。言い換えると、5Sが実践できていないところでは、TQMだけでなく他の側面でもうまくいっているはずはないという基礎的な活動です。

山田 秀
日本経済新聞社

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(2006-01)